dis-connected world

前回にひき続き「つながっている」お話を。美容の世界にも、数値化する、科学する、答えがあるといった近代(この場合いい加減な意味での前現代としてのモダンワールド)という大きなストーリーが終わると様々な矛盾が噴出してきます。流行現象、美意識を中心とするヘアカットの世界にすべての答えが存在するのであろうかという問いや、似合わせの理論化の是非が問われるようになってきます。つまりヘアビューティーの世界はどうやら答えなどない、コネクトすることだけが良いわけではない、世界は繋がっていないくても良いんじゃないのといった発想が生まれ始めました。これは勿論、美容の世界に限ったことでなく、政治、経済、文化といったあらゆる領域に渡って起こった現象でもあります。自然に戻ったり、ストリートカルチャーの流行、エスニックマイナリティーといった周縁文化の影響、時間軸でいえば、時間的焼き直しブームとしてのレトロスペクティブといった小さなストーリーに溢れた時代がやって来ました。まあ、ここで革命以前の古き良き世界に戻そうといってダンサブルなウィーン会議が行われたわけでもありませんが、そんな折、ビダル・サスーンは自らつくりあげたコネクテッドワールド(つながった世界)をいとも簡単に超克してゆきます。それは、「別につながなくてもいいんじゃないの」という発想です。これは、世界をコネクトした時点ですでに用意されたいた答えにも思えてしかたありません。
このときビダル自らおこなった反動革命としてのトリックは、テクニカルにはつながっちゃいなんだけれど、革命で築きあげたバランス理論においては、視覚的には結局、コネクトされているということでした。これちょっと説明するの難しいのですが、彼が興した美容革命、第二段階において自らの世界を否定したんですけど、やっぱり大きな理論にとりこまれてしまったといったところでしょうか。
これをもって美容の七月革命と呼んでます(ウソ)